「土曜休んだのに、日曜も休む人はいらない」
「鈴木修が生きている限り
軽自動車はなくならない」
「俺はさ、あのオヤジに
一泡吹かせてやるんだ」
「崖から落ちてもエエヤン。
どこまで行けば崖かわかるんやから」
激戦の現場から、魂の叫びが聞こえる
2007年は、自動車産業にとってエポックメイキングが発生した年となった。
軽自動車市場で、34年ぶりにトップ企業が入れ替わったからだ。ホンダを1973年に抜いてから、軽自動車市場の首位を走ってきたのはスズキ。軽の王者・スズキは06年度、トヨタ自動車の子会社であるダイハツ工業に抜かれたのである。
軽自動車は1998年、ボディサイズが一回り大きくなる規格改定が行われた。改訂前の98年の軽自動車市場は約155万台の規模だった。これが06年には約202万台と初めて200万台を超える。8年間に30%も市場が拡大する中での、トップ企業の交代だった。
企業間競争には、政治を含めていくつもの要因と事情とが複雑に絡み合う。
我が国のシェア競争として有名なのは、昭和50年代に発生した50ccバイクを巡るHY(ホンダとヤマハ発動機)戦争、87年のアサヒスーパードライ発売で火蓋が切られたビール戦争などだろう。商品特性が違うので同じ土俵で比較するのには限界はある。だが、メーカー間のシェア競争にはいくつかの共通項もある。
ひとつは、市場が大きく拡大した点。
75年まで150万台前後で推移していたオートバイの国内販売は、HY戦争により82年には334万台へと倍増する。334万台のうち50cc以下の原付き第一種は278万台を占めた。ビールもスーパードライ発売から8年間で、市場規模は5割も拡大した。
ではなぜ、増えたのか。50ccバイク、ビール、軽自動車とも、女性をコアとする新規ユーザーを獲得したからで、この点で共通する。
そしてもうひとつ、熾烈なシェア競争の結果、販売現場は荒れて安売りへと走ったのも共通項だ。80年代前半、原付きバイクは2万円台と自転車よりも安く売られた。これは軽自動車も同様。
ビールにしてもアサヒがキリンビールと逆転を果たす01年前後、店頭では一缶100円を切る発泡酒が売られるなど大変な乱売合戦が演じられた。
特徴的なのは、バイクもビールも安売り競争になった後、市場が縮小していった点だ。特に安売り競争以降に、大きく縮小した。果たして、軽自動車も同じ道を歩むのかどうか。
一方、現場に従事する男たち、女たちも日々戦っている。経営者だけではなく、現場の名もなき戦士たちの奮闘ぶりも盛り込んだ。
軽自動車の首位交代は、決して終戦ではない。新しいラウンドの始まりも意味する。日本独自の規格である軽自動車は、800cc以上のエンジンを積みインドなど海外でも展開されている。
(──本書「プロローグ」より)
[著] 永井 隆(ながい・たかし)
1958年生まれ。群馬県桐生市出身。明治大学経営学部卒業。東京タイムズ記者を経て、92年からフリージャーナリスト。「プレジデント」、「エコノミスト」、「日刊現代」などに執筆。2005年から明治大学が発行する雑誌「明治」編集委員。『一身上の都合』(ソフトバンククリエイティブ)、『ビール最終戦争』、『ビール15年戦争』、『リストラに克った』(以上は日本経済新聞社)、『技術屋たちのブレークスルー』(プレジデント社)など著書多数。














