「減の時代」の新・マーケティング戦略

「減の時代」の新・マーケティング戦略
[著]林 光
価格:1,500円(税込)

はじめに わたしたちが歴史の証人です。 「今が異常」という認識からすべてが始まる人口問題

20世紀がスタートした年、1901年の日本の人口をご存じでしょうか。たった100年ちょっと前です。1901年の日本の人口は、その年の12月31日現在で4544万6369人。つまり4500万人ちょっとで、まだ5000万人にも達していないのです。

1901年というと和暦でいえば明治34年ですから、江戸末期の大政奉還など、明治維新が起こってから、まだ30数年しかたっていない時期という、今の自分たちにとってみれば、学校時代の近代史の時間に習った歴史上の時代ではありますが、しかし、少なくとも今に続く現代日本の黎明期であり、日本の近代化が始まった時代なのです。

今の日本のもっとも高齢の方は、世界一の高齢者でもある沖縄県在住の知念カマさんだそうですが(2009年9月に、それまでの世界最高齢のアメリカの女性が亡くなり、世界一になったのを機に氏名が公表されました)、2009年末現在、114歳です。この最長寿の方の出生は1895年ですが、つまりそれは19世紀末に生まれたということで、彼女が生まれてから6年たって、ようやく1901年がやってくるのです。

何が言いたいのかといえば、それはこの1901年、つまり20世紀初頭という時代は、決して学校で習うような、我々の時代からはるか離れた歴史上の時代なのではなく、その時代に生まれた人が、まだ生きているという「現代」なのだということです。

21世紀に入って9年がたち、すでに20世紀は過去の時代だと思っている人たちもいないとは言えない今の時代から見れば、20世紀の冒頭なんて、きっと「今と関係ない大昔さ」と思っている人も少なくないでしょうが、決してそうではないということをここでは確認しておこうと思います。そう、まだそのころに生まれた方が、生きているのだという事実を知るということで――。

そして、このほんの100年ちょっと前の日本の人口は5000万人にも満たなかったのに、その66年後の1967(昭和42)年に、日本の人口は1億人を突破します。

たまたまその前年は、60年に一度巡ってくる「丙午」の年でした。12支でいうと午年、十干でいえば「丙」の年であり、また特別なことに丙午の年とは、「この年は火災が多く、また、この年に生まれた女性は気が強く、夫を食い殺すという迷信があった」(『大辞林』)という年であったのです。

この迷信とされている丙午の年の言い伝えが、決して迷信などではなく、多くの親たちに現実の恐怖感をともなって信じられていたという証拠として、この年の出生数が前後の年に比べると、大幅に少ないことが挙げられます。そのために当然ながら、この年だけは合計特殊出生率(国立社会保障・人口問題研究所の少子化情報ホームページの説明によれば「女性の年齢別出生率を15~49歳にわたって合計した数値で、代表的な出生力の指標です。その値は、女性がその年齢別出生率にしたがって子どもを産んだ場合、生涯に産む平均の子ども数に相当します」)が、1.58と大幅に低いものだったのです。

この年の出生数が、いかに例外的に少なかったのかということを具体的に示すと、その前後の年、つまり1965年、1967年の出生数はそれぞれ182万3697人と193万5647人だったのですが、丙午の1966年の出生数は136万974人と前後の年に比べて50万人前後も少なかったのです。このことにより、「丙午」の迷信が決して無視できるような迷信ではなく、女の子が生まれてしまうと、将来不幸になってしまうのではないかと心配して、子供を産むのを控えた親がいかに多かったのかを示しています。

ただ実際に、この年に生まれた女の子がみんな不幸な人生を送ったという報告は世界のどこからも聞こえませんでしたから、実際には迷信だったことは間違いありません。それどころかかえって、受験競争や結婚といった人生の節目ごとの大競争において、この年に生まれた人たちは、特異に人口が少ないことからくる「競争が少ないことによる有利な状況」を享受したことのほうが多かったのではないかと思料されるので、生まれ年による禍福はまさにあざなえる縄のごとしだったのかもしれません。

それはさておき、合計特殊出生率を見ると、1965年が2.14、1967年が2.23と、人口置換水準(前出の少子化情報ホームページによれば「人口を、世代ごとに同じサイズになるよう置き換えるために必要な出生率のレベルのことです。合計特殊出生率について2003年では2.07でした。しかし、過去を見ると戦前の1930年では3.09、戦後1950年では2.43でした」とある)を上回るものだったのに比べて、丙午である1966年は「1.58」と、大幅に低いものでした。

これから後、1990年代に入って「少子化」が国家の大問題になりはじめたころ、日本のメディアの表現の中に「1.57ショック」という言葉がありました。この「1.57ショック」とは、まさに、「異常に少数しか生まれなかった丙午の年の『1.58』をも下回った」という意味で、「ショック」という言葉が使われるほどに、例外的な事象だったのです。

平成16年版の『少子化白書』によれば、「『しょうしか』という言葉を聞いて、『少子化』という漢字を思い浮かべる人たちが多くなったのは、最近のことであろう。『少子』という言葉は、本来は『一番若い子。末子』という意味で、『子どもが少ない』という意味はなかった。しかし、『広辞苑』(岩波書店)では第5版(1998〈平成10〉年)から、『少子化』という言葉を掲載し、『出生率が低下し、子どもの数が減少すること』と説明し、『1992(平成4)年度の国民生活白書で使われた語』と、言葉の出所まで明記している。『広辞苑』が語源とした『平成4年度国民生活白書』では、『少子社会の到来、その影響と対応』という副題の下に、少子社会の現状や課題について、政府の公的文書としては初めて解説・分析をした。『少子化』という言葉がひんぱんに使われるようになったのは、この『国民生活白書』以降とみられるが、そもそも出生率の低下が社会的な関心を集め、政策課題として取り上げられるようになったのは、1990(平成2)年のいわゆる『1.57ショック』からである。『1.57ショック』とは、出生率の低下に対する社会の驚きを示した言葉で、1990年6月、前年の1989(平成元)年の合計特殊出生率(TFR:Total・Fertility・Rate)が、それまで最低であった『丙午(ひのえうま)』の年(1966〈昭和41〉年)の1.58よりも低い戦後最低の1.57であると発表されたことが契機となった」とあるように、20世紀も終わりごろになって、ようやく日本の国として「少子化」が、政治や行政にとって、今後の大きな課題になるであろうことが認識されたのです。

今になってみると、この「1.57」という水準も、2006年が前年よりも回復したとはいえ、「1.32」と置換水準からははるかに隔たった結果であることから見れば、まだまだ高い水準ではあったのですが、しかし国家全体で、いわゆる「少子化」を意識しはじめるきっかけとなった水準だったのです。

こうして20世紀初頭に4500万人で始まった日本の人口は、66年後の丙午の翌年に1億人を突破し、21世紀になる直前に、生まれる子供の数の減少が尋常ではないことが国家的な規模で認識されはじめ、人口のピークである2004(平成16)年の1億2778万7000人を迎え、その後この規模を維持させて現在にいたっているのです。

そして、もう少し長い時代スパンで人口を眺めてみると、もっとすごいことがわかります。

まず、グラフ(7ページ)をご覧ください。このグラフは、江戸時代からの日本の人口が示されています。関ヶ原で合戦がおこなわれていたころの日本の人口は、推定で1227万3000人ぐらいなのだそうですが、その後、江戸時代に入って徳川吉宗の時代の享保5(1721)年には3127万9000人と、3000万人を突破します。そしてその後、江戸時代から明治の初頭まで、150年間という永きにわたって少しずつ増えながらも、3000万人という水準を保って推移します。

そしてそれ以降、今という時代を経てこれから先の22世紀までを、国立社会保障・人口問題研究所が発表している将来人口推計を含めて示したのが次ページのグラフです。ただ、この将来人口推計は、3種類の予測が発表されているのですが、ここではそのなかから中ぐらいの予測である中位推計の推移を示しておきます。

今という時代が、人口としてはまさにピーク(山頂)であり、これからはちょうど増えてきた道よりももっと急な坂道を転げ落ちるような道筋で減少し続け、22世紀にはまた19世紀の水準まで戻ることがよくわかります。

こうして、ちょっと長い目で人口の推移を眺めてみると、今という時代がいかに「異常」な時代かがわかるとは思いませんか。

そもそも江戸時代の中ごろ以来、長い間、この日本列島の上には3000万人程度の人間が暮らしていたわけです。しかし明治維新の後、明治政府が列強諸国に追いつけ追い越せとばかりに取りはじめた「富国強兵」政策の結果として、あっという間に人口は大増大しはじめました。

そしてその後、太平洋戦争時のスローガン「産めよ増やせよ」の大合唱を聞くまでもなく、日本の人口は増え続け、その勢いは戦争が終わった後も衰えずに、あっという間に1億人を突破し、かくて現在の日本列島には、1億3000万人近い人口があふれることになったわけです。

そうです。ちょっと長い目で人口の推移を見てみると、「今が異常」であることがよくわかります。そもそも3000万人が、それこそ今はやりのスローライフを送っていた弧状列島に、こんなに多くの人口を抱えることになってしまった現代こそ、異常事態なのです。

20世紀、日本は大規模な工業化を成し遂げました。そしてその結果、生活の水準は大幅に向上し、だれでもが人並みの暮らしを実現しました。家庭電化製品も自動車も、所有したいものはほとんどの家庭が所有し、新入社員から社長にいたるまで、そんなに変わらない生活水準を獲得しました。

しかし一方で、こうした大きな人口ゆえに、例えば食料の自給率は諸外国に比べると目を覆うばかりの低水準になってしまいましたし、平日の電車のラッシュによる通勤地獄はちっとも解消されませんし、またゴールデンウィークやお盆のころの大規模な交通渋滞も、これほど科学が進歩した時代になっているのに、ちっとも改善の様子をみせません。

それはみんな、今の時代の「人口規模の異常さ」からきているのです。

そう考えることから出発すると、いろんなことが見えてきます。政治や行政、経営や生活など、今とこれからの日本で起こることを、ここを出発点にして考えてまいりましょう。

2010年2月
林 光


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