私がクリスマスに疑問を覚えたのは、経済学者として学問の洗脳を受けてからのことだった。クリスマスといえば、普通の人は暖炉のそばに集まる場面を想像するだろうが、私は経済学者として、大規模で組織的な価値の破壊に注目した。ほとんどの人は心あたたまる子供時代の思い出に目がくもって、みようとしない現実だ。
その現実に気づいた私は、社会科学系の学者なら当然ともいえる行動に出た。つまり、リサーチを始めたのだ。私が大学で教えていた学生を対象に、もらったプレゼントが自分にとってどのくらい価値があったか、プレゼントの価格はいくらだったかを調査したのである。
その結果、経済学の理論では当たり前のことが明らかになった。プレゼント──他人のために買うもの──は、受け取る人の好みと悲しいほど一致しないのだ。「資源配分」(モノをふさわしい人の手に届けること)の仕組みとして、プレゼントは完全に失敗している。
私は1993年に「クリスマスの死重損失」(「死重損失」については44ページを参照)と題した小論文を書き、クリスマスに発生する巨額のムダについて警鐘を鳴らした。本業は大学で教え、真面目な経済学の論文を書くことだが、クリスマスの消費習慣の研究も私の重要なテーマである。数年前にオンライン雑誌「スレート」に執筆した記事が話題になり、それをきっかけに自分の研究を、経済学者以外の一般読者に向けて発表し、反響を得ることの楽しさに目覚めた。こうして「プレゼントの経済学」に関する研究をさまざまな読者と分かち合う本書が生まれた。
私のあらゆる努力(あるいは、イカれた試み)を応援してくれる妻のメアリー・ベンナーに感謝を。メアリーと彼女の家族は私にクリスマスというものを教えてくれた。妻の両親は、私が彼らにとって地球上でもっとも不愉快な義理の息子であることは明白な事実であるにもかかわらず、縁を切らないでいてくれている。
私の父メルビンと亡き母ガートルードは、私に質素倹約の精神をたたき込んでくれた。そして最後に、わが子ハンナとサラにありがとうをいいたい。彼らは私に多くのことを教えてくれただけでなく、プレゼントを慈善活動につなげるというアイデアを歓迎してくれた。
読者のみなさんが、幸せかつ経済的な贈り物の季節を過ごされることを願って。