市場の変相

市場の変相
[著]モハメド・エラリアン
[訳]牧野 洋
価格:2,200円(税込)

日本語版への序文

 日本語への翻訳が決まり、誠に光栄である。2007年にアメリカで起きた金融危機について外部の視点から書いた本書が、日本の読者にとって役立つものになればと願っている。
 2008年に入ると、さまざまな「市場の事故」や「政策ミス」が発生し、金融危機は真にグローバルな広がりを持つようになった。“無差別爆弾”よろしく 世界各国を直撃し、重大な結末をもたらしている。日本を含め、実質的に世界中のあらゆる国々の経済や生活基盤に破壊的な打撃を与え、ますます邪悪な性格を 強めている。
 危機が変質にするにつれ、個人投資家、企業、政府、国際機関をはじめ、国際経済・金融システムを担う主体がそろって「世界は現在、非常に珍しい現象に直 面しており、そこから逃れられない」と認識しなければならない。つまり、「システム内で起きる通常の危機」ではなく「システムそのものの危機」であるとの 認識が欠かせない。あちこちで「昨日の世界」と「明日の世界」が衝突し、危機を引き起こしているのである。
 だからこそ、生産、消費、投資、貿易、資産など、実質的に全経済指標が悪影響を受けているのも、驚くに値しない。株式と債券市場はさらに大荒れになり、 動きが激しすぎて予測不能な展開を示している。世界中の政策担当者は決定的かつ効果的な対応策を打ち出せず、苦心している。いずれも、当然の結果である。
 2009年も世界経済は引き続き厄介な問題に直面する見通しだ。経済成長が鈍化するなかで、大打撃を受けた金融部門はすぐには回復せず、時として不安定 になる。保護主義の圧力も増大しそうだ。各国政府は政府介入に絡んで難しいかじ取りを強いられる。シティグループやアメリカン・インターナショナル・グ ループ(AIG)などの民間金融機関の救済に巨額資金をつぎ込んだアメリカ政府は、特にそうだ。政府介入のための具体策を立案し、必要な資金を手当てする のはもちろん、最終的に成功したあかつきにはすべてを元に戻さなければならない。しかし、大規模な政府介入を実施すると、民間企業の国有化によって市場と 国家の微妙なバランスを崩し、必然的に国全体の経済成長と生産性を損なってしまうため、一筋縄ではいかない。
 当然のことながら、世界中の投資家と政策担当者は現在、市場構造の激変に直面している。これからは、信用創造機能の逆回転を意味する「デレバレッジ」の ほか、西側先進国の銀行システムと市場の大幅縮小という現実と向き合うことになるだろう。西側先進国は社会構造上、「景気拡大・相場上昇局面では自由放任 主義を貫いて企業や個人が巨額の利益を懐に入れるのを認め、景気後退・相場下落局面では社会主義化して巨額損失を国の負担で穴埋めする」といったシステム を受け入れることはできないのだ。
 各国の投資家と政策担当者はまた、一時的に金融仲介機能が著しく低下する現実を受け入れなければならない。信用創造が全体として大幅に縮小し、生産的活 動のための潤滑油として資金が流れにくくなる。資金がだぶついていた従来の環境とは様変わりとなるのだ。一部の企業や金融機関は資本市場から締め出された り、半永久的な資金調達コストの上昇に見舞われたりするだろう。
 このような理由から、株式や債券、商品など伝統的資産の間の価格連動性に重要な変化が出てくる。投資家と政策担当者はそれを見逃さないように目を凝らす べきだ。また、リスク管理戦略も一段と強化する必要がある。従来は「分散投資こそ唯一のリスク軽減策」と言われてきたものの、今後は分散投資を補う戦略を 採用しなければならない。
 以上のような環境変化を背景に、本書の重要テーマである「国際的な新旧入れ替わり」が加速している。特に、世界の成長エンジンと富の蓄積の分野で入れ替 わりが目立っている。アメリカは経済成長と富創造のエンジンとして圧倒的な存在でなくなる。言い換えると、アメリカ中心の一極構造の時代が終焉し、国際経 済・金融システムの中で重要な地位を占める新興国を取り込んだ多極構造の時代が到来するのである。
 日本にはどんな影響があるのか。日本の国外で発生した今回の危機は、その規模においても影響度においても突出している。国としての特性を考慮すると、日 本は今回の危機に対処する際に他国よりも有利な立場にある。しかし、その日本さえも困難な局面に置かれている。民間レベルでも政府レベルでも、現在世代と 将来世代の生活を脅かすかもしれない世界的な危機に対処しなければならない。日本も他国と同様に、危機の後に出現する「新たな行き先」にたどり着くまで、 非常に険しい「旅路」を歩むことになる。
 私の考えでは、日本の投資家や企業、政府が今回の難局を乗り越えるためには、以下に挙げる三つの基本要素に対する十分な理解が欠かせない。三要素と は、(1)世界的な危機とその変質を生み出している力 (2)危機が個々の市場や国へ伝播していく流れ (3)旅路と行き先の構図や展望を踏まえて反応する必要性──である。
 日本のみなさんが本書を手にして、これら三要素に対する理解を深めることができるよう願っている。私は投資家に対して、リスクとリターンの関係が様変わ りしていることについて、有益な指針を提供したいと思っている。政策当局に近い方々に対しても、適切な考え方を示したいと思っている
 本書を実質的に書き終えたのは2007年12月。しかし、その分析内容は今日の世界でもなお有効だ。実際、2008年に市場で起きたことの多くを予測し たのである。本書を読み進めると、読者は国際金融システムをめぐって以下の論点について触れることになる。

1◆公的レベルでも民間レベルでも、既存インフラの能力をはるかに越えて新型の金融取引が膨張した。結果として、システムは非常に不安定になり、「市場の事故」と「政策ミス」に遭遇しやすくなっている。
2◆伝統的な組織や体制、手法が通用しなくなっている。そのため、危機を防止する「サーキットブレーカー(遮断機)」の機能が弱まり、システムのあらゆる次元でリスク管理が行き詰まり、失敗している。
3◆ますます不安定化しているシステムの安定化に向けた対策が欠かせない。

 本書では、私はさらに一歩進んで工夫を凝らした。本書が読者にとってより大きな価値を生み出すよう願っ てのことである。具体的には、時の試練に耐えられるような堅固な枠組みを提供している。「険しい旅路を踏破するうえでどう対応したらいいのか」だけでな く、「永続的な行き先に向けてどう準備したらいいのか」について考察するための枠組みである。このような枠組みを提供する過程で本書が強調しているのは、 システム再構築の重要性である。公的レベルでも民間レベルでも、危機対応能力を高めなければならないのだ。
 基本メッセージは、次のように単純なものである。現在起きているグローバルな危機は緊急事態であり、市場参加者は最優先事項としてただちに対応しなけれ ばならない。同時に、徐々に出現しつつある新パラダイムに対してもタイムリーに対応する必要がある。新パラダイムは一見すると緊急性に乏しいのだが、目先 の危機と同じように重要である。
 当然のことだが、「言うは易し、行うは難し」だ。危機対応は単純作業ではなく、リスクを伴う。市場参加者は、これまで安住していた世界から飛び出すこと で、不安に駆られるだろう。不確実性が高まった世界に置かれながら、難しい選択を迫られることもある。だからこそ、世界経済の「新たな行き先」に備えてシ ステムを再構築する必要性が増しているにもかかわらず、その作業をできるだけ先延ばししようという誘惑が出てくる。この誘惑に負けてはならない。理由は単 純で強力だ。現在われわれが住んでいる世界は急変しており、そこで「何も行動しない」ことに伴うリスクと代償は途方もなく大きい、ということである。
 本書を読んでくださるみなさんに感謝したい。本書を読んでみなさんがどう思ったのか、知らせていただければ幸いである。

2008年12月12日、米カリフォルニア州ニューポートビーチにて
モハメド・エラリアン

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